「精神科医 香月悠のカルテ」
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「父さんはあせったでしょうね。おれがふつうの子どもではなく、病院のあと取りとしてふさわ
しくなかったのですから」
「…違う、君を俺に頼むとあいつが言ったのは、心から君のことを心配していたからだ」
 世間体をまったく気にしていないとは、たしかに言えないかもしれない。けれどそれ以上
に、子供である帝を心配しているのは確かだ。
  
  
『──私は帝の話を聞いて、愕然とした。今までずっとひとりで悩み続けていただなんて、ど
れほどつらかったことだろう。…香月、頼む。あの子の力になってくれないか』
  
 青い顔をしていたのは、自分の愚かさに初めて気づいたから。そして変な表情をしたの
は、帝のこころの傷を自分の傷のように受け止めていて顔をゆがめたから。決して、帝を
嫌悪するような変な目で見たりはしていないはずだ。あいつは、学生の頃からずっと変わっ
ちゃいない。こないだの相談で会って、俺はそれを確信した。
  
「そんなのうそです、父さんはおれを病院のあと取りとしてしか見ていません」
「子供のことを想っていない親なんて、いない。親に嫌われても構わない子供なんて、いな
いんだ」
「ここにいる!」
 帝は大声で叫んで、続けた。感情を取り乱したせいか、いつの間にか言葉遣いが変わっ
ている。やっぱり、こっちが本当の帝なんだろうな。
  
「子供の未来を選ぶ自由をうばっておいて、なにが子供のことを想っているだ、ふざける
な!」
「それなら、君はお父さんと一度でも向かい合って話したことがあるか? 自分の未来は自
分で選びたいと、今みたいにきちんと話したことがあるのか?」
「子どものおれがなにを言ったって、聞いてくれなんかしない!!」
「どうしてやってもないのに、決めつけるんだ? ただ逃げているだけだろう」
 すると帝は歯をくいしばって、視線をそらした。まずい、ちょっといじめすぎたか? 香月
はそれまでの険しい顔を、にっと笑顔に変えた。
  
「親も子も、本当に大切な言葉は口にしないと伝わらない。血がつながっていない者も当然
な」
 この子の心に届くようにと、やさしく諭す。
「──さっき、君は自分は愛されていないと言った。でもそれは、誤解なんだ」
「どうしてそんなことが分かるんですか?」
 帝は冷静さと取り戻したようで、また最初の言葉遣いに戻ってしまった。それはこちらの
話を聞いてくれる気になったということだが、本当の帝とは離れてしまった。うれしいような、
かなしいような。複雑だ。
「今から話すことは精神科医の俺ではなく、香月悠の経験から考えた意見だ。聞いてほし
い」
「……はい」
 頷いた帝を確認すると、香月はゆっくりと話しはじめた。    

 

  
      
「親は自分の経験やたくさんの友達の情報から、子供が将来不自由なく大人になれるよう
に考えて話すんだ。それは自分の子供が好きでしょうがないから、子供が将来苦労するこ
とのないようにって想ってるからなんだよ。──でも残念だけどそんな親の想いは子供には
届かなくて、ただ親のことをうっとうしく思いこう言ってしまうんだ。『お父さんもお母さんも僕
のことを思ってなんて、うそだ。ただ周りの人に恥ずかしくないようにって、自分のことしか
考えていない』ってね」
「………」
「子供にはどうして親の心が届かないんだろうね? 君はどう思う?」
 香月の問いかけに、帝は少し考える素振りをみせる。
  
「……子供は親みたいな考えではなくて、どんなに大変でも自分のやりたいことをしたいか
らだと思います」
「その通り。子供は自分の力がどこまで通じるか試したいっていう、冒険心に満ちているか
らね。それを否定されると自分の力も否定されているようで、いい気はしないだろう」
 少し間を置いて、香月は続けた。
  
「──親と子、それぞれの思いを今話したわけけれど。これを踏まえて親を説得してみれ
ば、子供のやりたいようにやらせてくれるのかと訊かれれば、実はムリだったりするんだね
ー」
「そんな…」
 あっけらかんと言う香月に、帝は落胆の色を見せる。
  
「たしかに俺は、君に親としっかり話せって言った。それなのに話してもムダだなんて言わ
れたら、やる気も失せるだろうな。…でも考えてもみろ、親は自分の意見に自信を持ってい
る。それは自分の経験といったものに裏づけされたものだから、『この子はまだ世間という
ものを知らないから、こんなことが言えるんだ。だから私が教えなければ…』って思ってしま
うんだ」
「……もういいです、その話は。よく分かりましたから」
 悪循環だ。話したら逆効果になってしまうだなんて。もうこれ以上は、聞きたくない。
  
「──それが原因なんだよねー、俺も君と同じだった」
 苛立ちを抑えきれない帝に、香月は悠然とした態度をまったく崩さなかった。なにが言い
たいのか、よく分からない。
「…え? それってどういう……」
「1度頭をひやした方がいい。そうだな──君のお父さんの話をしようか。説得の材料にな
るかもしれないよ」
 意味深な笑みをのせて、香月はそう提案した。困惑している帝をひとり残して。    

 


 
「君のお父さんが跡を継いで医者になり、結婚は親同士が決めた婚約者としたっていうの
は知ってるよな?」
「…医者になった理由は知っていましたが、結婚のことまでは知りませんでした」
「……そうなのか」
 秋山は、本当になにも話していないらしい。まったく、困ったものだ。
  
「将来就く職業も、結婚する相手も。本来なら自分で決めるべきことだ。それを誰かに決め
られることは、たいてい苦痛になる。けれど、あいつにとってはそうじゃなかった。そうなるこ
とが当たり前なんだと自分に言い聞かせ、それが偶然いい結果になったんだ。それはあい
つにとって幸運だったが、君にとって不幸となった。あいつは自分がしあわせだから、君も
しあわせになれると勘違いしてるんだろうな」
「………」
「医者はあいつにとって天職で、婚約者は心から愛せる人だったんだよ」
「母さんは泣いていましたよ。本当に好きなら、そんなことさせないんじゃないんですか?」
 帝の目は怒りに満ちていた。父親を嫌いだという理由は、そこにもあったのか。
  
「そこがあいつの悪いところだ。医者という職業にのめり込むあまりに、他を顧みないところ
があるからな。医者としてすばらしくても、夫として父親としては欠点な多すぎるだろう。ま
あ、そのことは俺が釘を刺しといてやるから」
「はい、お願いします」
 香月の胸に、ものすごく複雑な想いが過ぎった。そもそも自分は父親に頼まれてこうして
会っているのに、その場で子供に逆に頼まれるだなんて…。
  
「医者という職業に関してだが、さっきも言ったように医者はあいつにとって天職。君にとっ
てもそうなるんじゃないかって、あいつはそう思っているんだ。自分の息子だから」
「そうとは限らないでしょう?」
「俺もそう思う。けどな、実は俺が医者になったのもあいつのおかげだから……あんまり強
く言えないんだ」
 突然の告白に、帝の目が大きく見開いた。その様子を見た香月は思わず、苦笑する。自
分でもまだ、信じられないくらいだ…と呟いて。

 


 
 中学の頃、俺はただ必死に勉強して有名な進学高校に入った。別に勉強するのが好き
だったわけじゃない、まあヒマつぶし程度かな。でも高校入って、自分がなんのために勉強
をしているのかを疑問に思い始めてほとんど勉強しなくなっていった。……たぶん、目標
がなくなったせいだと思う。
 そしたら勉強しろ勉強しろって、親がうるさくなってな。俺はうっとうしくなって、家にいるの
も嫌になった。深夜家に帰ったり、無断外泊とかも増えて…。親を困らせてばかりいたん
だ。
  
 俺が友人の家に泊まった、ある日の翌朝。家に帰るとカギがかかっていて、誰もいなかっ
たんだ。父親は会社に行っていてもしょうがない時間帯だったし、母親だってなにか用事が
あったかもしれないと思ったから、特に疑問に思わなかった。
 2階の自分の部屋に行こうとしたそのとき、家の電話が鳴った。放っておこうかとも思った
が、いつになっても止まない様子でしょうがなく取った──そのとき。信じられない言葉が、
耳に飛び込んできた。
  
『香月悠くんだね? 非常に言いにくいことなんだが──昨夜…君のお父さんとお母さん
が、大型トラックの事故に巻き込まれて亡くなったよ』
  
 頭がまっ白になった。すぐに理解なんかできなかったが、警察に来いと言われて…。遺体
を見させられることで、それが現実だと認めざるをえなくなった。
  
  
 遺体を引き取ってから、後日。俺は父親と母親の部屋に入った。そこで母親の日記を見
つけたんだ。
 成績が落ち始めて心配しているが、本当は有名な大学にまで入らなくても、他にやりたい
ことがあるなら別に構わないということ。無断外泊が増えて、どこに行っているのか心配し
ているということ…。
  
 中には俺のことしか書かれていなかった。しかも俺を責める言葉はひとつもなく、ただ俺
の身を心配しているという言葉だけがならんでいた。
 その日記を読んで、俺は初めて気づいた。自分がどれだけ愚かなことをしていたかという
ことに。そして、ようやく分かった。本当は自分がなにをしなければいけなかったかというこ
とを。
    
 ──けれど、すべてが遅すぎた。気づいたときには、俺にはなにも残っていない。それが
やっと身にしみて分かって、俺はその日ずっと泣き続けた。

 


   
『──香月』
 その日は雨が降っていた。葬式が終わり弔問客に頭を下げて見送ったあと、俺と同じ高
校の制服に身を包んだ人物に声をかけられる。それは、よく見知った顔。中学からの友人
だった。
『……秋山、か。なにしにきたんだお前。ざまあみろって、言いにきたのか? それとも説教
か?』
『話があるんだ』
『話? あいにく俺にはないな。今は忙しいんだ、帰ってくれ』
 今はなにも聞きたくない。忙しいのは事実だが、本音はそっちだった。
    
『お前、医者にならないか?』
 こいつ、今なんて言った? 俺は思わず、秋山の顔を見た。
『医者…? 俺が?』
『そうだ』
『なにを言うかと思ったら…』
 おかしなことを言う。なんでそんな話が出てくるんだ?
『お前、勉強しすぎでどうかなったんだじゃないのか』
『俺は真面目な話をしている』
 たしかにお前は冗談なんか言う性格じゃないし、顔つきもいたって真面目だ。でも肝心の
伝えたいことがよく分からない……いや、まてよ。
    
『──あぁ、そういうことか。一緒に医大目指してがんばろうとか言いたいのか。……同情
なんか、まっぴらごめんだな。帰れよ』
『それは誤解だ。たしかに俺は外科医になって家を継ぐが、言いたいのはそんなことじゃな
い。精神科医になれ、香月』
『……………』
 まったくもって、理解不能。お前は昔からそうだ、言葉がいつも足りない。だからこっち
は、いつも苦労する。
『お前には向いてるから』
『ふざけるのもいい加減にしろよ!』
 気がついたら、俺は大声で叫んでいた。周りの視線が俺の方に集中したが、そんなもの
には構っていられない。
    
『俺が精神科医に向いてる? 自分のことは自分が1番分かっているさ、俺には1番向いて
いない。……なんでかって? 人を思いやれる人間なら、俺のような真似は絶対にしないか
らだ。両親の気持ちを無視して、自分勝手に行動するような真似はな! この様を見れば
分かるだろ? 俺がどれだけ非情な人間かってことが!!』
『本当に非情な人間は、そんな感情的に言ったりしない』
 感情的になった俺に、いつもの冷静な発言をしてくる秋山。その発言に簡単に反論で
きず、俺は黙って睨みつけた。するとまた、秋山が口を開く。
    
『香月、俺はこう思うんだ。今のお前だからこそ、できることがあるって』
『今の俺だからできること…』
『失って気づいたんだろう、なにが大切なのかということに。お前なら、それを伝えていくこと
ができるんじゃないのか』
 親が自分の中で、どれほど大きな存在だったのか。親が知らない間に、どれだけ自分を
支えてくれていたのか。たしかに、失ってから気づいた。たしかに、他の人に同じ過ちはし
てほしくないとも思う──でも。
    
『……精神科医はそれだけじゃ、やっていけないだろう?』
『それはそうだろうな。俺は精神科医についてよく知らないから、分からないが』
『あぁ?! 知らないのに俺にすすめたのか?』
『ついさっき思いついたんだ。調べてる時間なんかなかった』
 詫びる様子もない秋山に、俺は大きくため息をつく。
『そうだな、お前はそういうヤツだったな…』
 精神科医になれと言って、俺のことを真剣に考えてくれたかと思えば。その理由はさっき
思いついたという、いい加減なことを言う。本当におもしろいヤツだな、お前は。
    
『──香月?』
『考えとくよ、その話』
 ありがとうな、秋山。俺はそのとき、知らない間に自然と笑っていた。     

 

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