「小沢さん…?」
自分の名前を呼ぶ声がする方に、ゆっくりと顔を上げた。
ぼんやりとした視界に入ってきたのは、うちの学校の制服を着た男の子。
同じ中学校出身で互いに名前を知っている知人、
須藤惣一朗くんだった。
「どうしたの、顔色悪いよ?」
「……………っ」
口を開けることができても、声を出す気力がない。出るのは、かすかな吐息だけ。
「ベンチで休んだ方がいいね、荷物貸して」
心配そうな須藤くんの声色が、私の様子を見てなのか険しくなった。
肩にかけていた私のカバンを受け取ると、今度はやさしい声に変わる。
「僕の腕に掴まって。ゆっくり歩こうか」
小さく頷いて、須藤くんの腕に掴まる。
できるだけ体重をかけないように注意しながら一歩、また一歩と歩き出す。
ベンチに座ってしばらくして、電車を見送った駅員が私たちの方に向かって走ってきた。
「どうしたんですか?」
「気分が悪いみたいなんです」
私の代わりに、須藤くんが答えてくれた。
「救急車呼んだ方がいいですか?」
2人の視線が私に集中する。声を出せない代わりに、私は首を左右に振った。
それを見た須藤くんが、また代わりに返事をしてくれる。
「顔色も少しずつよくなってきましたし、大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」
「そうですか、それでは私は仕事に戻りますので」
駅員の人が去ってすぐ。何故だろう、私はぽろぽろ涙が出てきた。
一度あふれてしまうと止まらなくて、私の目から次々と涙があふれ出す。
「小沢さん、どうしたの?」
「…こわかったの…」
か細い小さな声が、私の口から出ていた。
「体を動かそうとしても、思うようにいかなくて…っ」
頭で考えるよりも先に、気持ちがそのまま声になる。
「助けてほしいのに、声が出なくて……っ」
声も体も震えが、止まらない。
「…大丈夫、僕がいるから」
耳元で声が聞こえたとき、背中に手を回されて抱きしめられたことに気づいた。
(あったかい…)
夏服から、須藤くんの体温が伝わってきて心地いい。
そのぬくもりから離れたくなくて、私は相手の胸に顔をうずめ、自分も相手の背へと手を回す。
(…少し…ううん、だいぶ落ちついたかも)
あんな経験をしたのは初めてで、すごくびっくりした。
(──って、なにしてんのよ私は!)
これって、須藤くんと抱き合ってる状態だよね?
(うわぁ…どうしようどうしよう?!)
慣れない状況に困惑する。
意識し出すと止まらなくて、自分の体温が急上昇するのが分かった。
全身が熱くてたまらない。その影響で、また頭が少しクラクラしてきた。
「小沢さん? どうかした?」
今の赤い顔を見られるのもイヤだけど、これ以上抱きついたままではいられない。
ゆっくり、さにげなく離れよう。
「あ、あの…もう落ちついた、から…大丈夫。ありがとう」
ゆっくりを顔を上げた、その瞬間。
吐息が感じられるほどの至近距離で、視線が合う。
とくん、と心臓が鳴る。
(…え? え? え? なんで?!)
急に須藤くんの顔が私に近づいてきた。
とてもじゃないけれど開けていられなくて、きゅうっと目を閉じる。
「……本当にもう大丈夫そうだね、よかった」
言葉と共に、須藤くんが私から離れた。
どうやら、私の顔色を気にしてくれただけみたい…。びっくりしたよ本当に……。
ふと我に返ると、今度は周囲のことが気になりだした。
電車から降りて、足早に去っていく人々が次から次へと…。
(──あれっ?)
そうじゃない、今は朝で…って?! なにしてんの、私たち!!
「須藤くん、大変大変!」
「どうしたの?」
「学校行かないと、学校!」
「…倒れたのに行くの? 無理はしない方が…」
「私じゃなくて、須藤くんが。私はこのまま帰って、病院に行くつもりだから」
「…行けないよ」
「どうして?」
「心配だから、最寄の駅まで小沢さんを送ってから行くよ」
「本当に私はもう大丈夫だから、ね? 今行けば、1時間目が終わる前に着けるよ」
「授業なんてどうでもいいよ。それより…」
「よくないって! 私のせいで須藤くんにこれ以上迷惑をかけるわけには…」
「迷惑じゃないよ? 僕が自分でやりたいって言ってるんだから」
「……………」
互いに譲らないから、埒が明かない。どうしよう。
私が譲れば、たしかに早いかもしれないけれど…。さすがにそこまで迷惑をかけるのは、気が引ける。
「──ちょっと待ってね」
何か新しい考えがあるのか、須藤くんがカバンの中からメモを出した。
それにペンで、何かを書いている。私は黙って、それを見守った。
「はい、これ」
「…携帯番号とアドレス……?」
「僕は小沢さんの言う通り、これから学校に行くよ。その代わり、家に着いてひと段落してからでいいから、連絡して。電話なら休み時間に、メールならいつでもいいから」
「…それくらいなら……」
別に拒否する理由もないよね。
「よかった、交換条件成立だね。──じゃあ、僕は行くよ」
「うん、須藤くんありがとう」
手を振って、人ごみに消える背中を見送った。
さ、私はもう少し休んでから、ゆっくり家に戻ろうかな。