目が覚めた薬師は自分が知らない間にされた契約を長から聞かされ、初めは不服だったらしい。けれども長に説き伏せられ、結局は承諾したらしかった。
薬師がレイヤのもとを訪れてから、レイヤは少し落ち着いた。今まで自分の病気のことを、誰にも相談することができなかったからだ。
付き人のトモアキは大切な友人ではあったが、決して話すことはできなかった。最初はたった1人の友人だから、心配をかけたくないという思いからだったが今は事情が違う。彼の正体を知ってしまったから。
大切な友人だと思っていた彼は、実はエランドという国の使者で、レイヤの国であるリプローグの情報を流していたのだった。そんなトモアキに、自分の病気のことを話せるはずもない。
だからこそ余計に薬師の存在は貴重だったのだが、王子としての役目を必死に果たそうとしているレイヤと、薬師としての意見を決して曲げないミカドは何度も衝突した。
「…駄目だ。今日は休め」
「昨日だって、君の言う通り休んだだろう? 今日はいいじゃないか」
「駄目だと言っている」
断固として意見は変える気はないらしい。レイヤはため息をついた。
「ずっと寝ていると、どんどん体が固まっていく感じがして嫌なんだ。だから体を動かしていた方が気が楽なんだよ。なにかをしていると、すべて忘れていられる」
「だがその代償として、仕事を終えた後にもとからある精神的な疲れだけでなく、体力的にも疲れて余計に体が重くなる。思い当たることがあるんだろう?」
レイヤは黙った。毎回毎回、体調の話で薬師には敵わないのだが、それでも不服を言ってしまう自分の愚かさを呪う。けれど言わずにいられないのだから、しかたない。レイヤは再び口を開いた。
「2日も続けて休んだら、周りのものに迷惑がかかる。それがどれほどのものか、君は分かっていないんだ」
「かければいい。迷惑をかけるために、周りの者はいるんだ」
「…ふざけたことを。いい加減に……!」
彼は自分が師に道具として扱われたように、他人も道具として扱うのか。レイヤには我慢ならなかった。その様子を見た薬師は、冷静に首を振った。
「お前はなにか誤解をしている。俺は周りをもっと頼れと言っているんだ」
「頼る…」
「お前は周りを信頼していないから、頼らないわけではないのだろう? ならばもっと頼れ。それは臣下にとって信頼の証となり、今まで以上にお前に忠誠を誓うだろう」
レイヤの心を見抜いただけでなく、それに対する的確な発言もできる、長が言うとおり非常に優秀な弟子だ。トモアキの付き人としての才も同年齢の者より抜きん出た才であるが、彼はトモアキと同等、またはそれ以上の才を持っているのかもしれない。レイヤの感心をよそに、薬師は助言を続けた。
「自分でできることと、できないことを見極めろ。できないことは独りで抱えず、周りに助けを求めればいい。お前も上に立つ者ならば当然要求されることだ。覚えておいた方がいい」
「……そうだね」
「分かったなら、休め。いいな」
思わずすんなりと肯定したレイヤに、ミカドはすぐに部屋に出ていってしまった。
(今日は君の言う通りにしよう。今日は、ね)
独り残されたレイヤは心の中でそう呟くと、大人しく横になった。
毎回毎回薬師に反抗していては警戒され、どんなにやりたい仕事でもまったくできなくなってしまう。ならばできるだけ薬師に従い、本当にやりたい仕事の時に備えるのが得策だ。
先ほど薬師は『周りをもっと頼れ』と言ったが、王子であるレイヤしかできない仕事の場合、当然他の者に任せるわけにはいかない。では体調が悪くても仕事をやらせてくれるのかと訊けば、薬師は間違いなく首を横に振るはずだ。レイヤはそのときのために静養していた。──そして、そのときはすぐに訪れた。
「…明日はサイトールに招かれているんだったな」
毎朝の恒例となっているレイヤの往診をしにきた薬師は、厳しい顔つきをしていた。その視線の先には、レイヤが大人しくベットで横になっている姿。正確に言うとそれは本人の意思ではなく、そうせざるをえない状況だったのだ。
「無理…かな。明日の朝によくなっていれば──」
「向こうだってお前を向かい入れる準備をしているだろうに、当日にキャンセルすることは余計に失礼にあたる。早めに連絡を入れるべきだ」
「……そうだね、向こうに迷惑はかけられないか。ミカド、トモアキを呼んでくれないか。伝達は頼むにしても、自分の言葉で謝罪をしたい」
「ああ、今日はゆっくり休んでおけ」
「はいはい、分かっているよ。どうせ動こうにも動けないからね」
「──レイヤ様。今薬師にお聞きしたんですが…。明日は欠席なさるそうですね」
「…いや行くよ。行くに決まってる。ただし、彼には内緒でね」
心配そうな表情のトモアキに、レイヤは上半身だけ起こして悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ですが、薬師が無理だと…」
「君の主は僕じゃなかった? 薬師なの?」
真剣な顔つきになったレイヤに訊かれ、トモアキは少し戸惑いながらも答える。
「我が主は昔から変わってなどおりません…。貴方様、ただおひとりです」
「それでいい」
「──では最も信頼できる臣下たちを集め、日の出とともに出かけられるよう、出資者である同乗者たちにもすぐに連絡を致しましょう」
「頼むよ、君だけが頼りだ」
「お任せを」
トモアキは優雅に礼をして、足早に準備に向かった。
正直、トモアキに出席を反対されるのではないかと不安だった。今回のレイヤの欠席により、リプローグとサイトールの関係が悪くなれば、トモアキにとってはよろこばしいこととなるはず。
では反対しなかったのは何故だろう? もしかしたら今回の船旅はいろんな意味で、命がけになるのかもしれない。
(…構うものか。今の僕に生きたい理由などない。この命、欲しいのならばくれてやろう。トモアキ、君になら……)
その夜、明日のために早々に寝ようとしたが寝つけないまま、出港の時がきた。
(――と、思ってはいたものの)
サイトールには無事つき、今は帰り途中の船の上。先方との話もうまく進み、周りは祝杯を挙げていた。
おめでとうとの声に、ひとつひとつ微笑をのせて礼を言う。その度に僕の胸には、むなしさが込み上げていた。
繰り返すそんな行動に疲れを覚えた頃、唐突に船がひどく揺れた。風と波の大きさに驚いて、空を見上げると暗雲が立ち込めている。
「レイヤさま船室にお戻り下さい」
「王子、急いで!」
付き人に促されて、僕も招待客と同じく船の中に避難する。数人の臣下と共に、用意されていた個室にてしばらく待機していたが――次第に揺れは収まっていった。
(ここは…空気が悪いな)
船の独特の匂いに、湿気が融合してもともと良くなった気分がさらに悪くなっていくのを感じた。
「…少し外に出てくるよ」
近くに控えていたトモアキに一声かけると、心配気な声が返ってきた。
「まだいつ天気が崩れるか、分からないのに危険ですよ」
「ちょっと風に当たりたいだけだよ、また天気が悪くなればすぐに戻るから」
「ですが…」
「ひと段落して疲れたんだ、少しひとりにしてくれないか」
「……分かりました」
レイヤの強い主張に、とうとう付き人も折れた。
(――本当に僕はこのまま流されてしまっていいのだろうか…)
海を見つめながら、自分自身にひたすら同じ問いかけをする。だがその悩みに答えは出ず、いつも無限のループを辿る。
…もうあまり時間がないというのに。
そのままずっと海ばかり見つめていると、急に後ろから誰かの手に押され、体が前に倒れこんだ。すぐに対応できず、今まで見つめていた海がすぐ目の前に迫ってくる。
押した犯人を確認しようと後ろを少し見やると、わずかに人影が見えた。
(あぁ、やっぱり…)
トモアキだった。着ていた服装からしておそらく間違いない。
ひとりだった自分の傍に長い時間いてくれた、友人のような兄弟のような唯一の存在だった。彼にとっては使命からの偽りの関係だったけれど、それでも離れることができない大切な人で。
だから僕がいなくなることが、君の望みならば構わないと思っていた。
それにもう、何も悩まなくていい。苦しまなくていい。
これですべてから解放される――そう感じた瞬間に体の力が一気に抜けて、まるで海に引き込まれるように体が沈んでいった。
息ができないことはもちろん苦しいが、海に体を預けると心地よくもある。静かな海にただ身をゆだねていたそのとき――
〔死んではダメ…! お願い、目を開けて!!〕
薄れゆく意識の中で、女の声が聞こえた気がした。
閉じていた瞳をゆっくりと開くと、目の前に自分と同じくらいの女の子が、レイヤの腕を掴んで必死に叫んでいた。
〔――お願い、生きて!〕
見知らぬ顔に疑問を抱き、君は誰と尋ねたかったが、現状では叶わない。ただひとつ、彼女のことで分かることは、下半身がまるで魚のようだった――ということだけだった。
(…人魚?)
最後にめずらしいものが見れたな、心の中で呟いたそのとき、目の前がまっしろになった。
「……まぁ、そのとき君が人魚だって気づいてね」
「私はあなたを助けることに必死で、見られてるなんて気づかなかったわ」
だろうね、と僕は微笑した。
「次に自分の部屋で目が覚めたとき、ミカドひどく怒られて…」
『――お前はどれだけの者に心配と迷惑をかけたと思っている? お前には王族の自覚がないのか!』
「それはしょうがないわね」
彼女がその光景を想像したのか、くすりと笑った。
「愛想を尽かされて出て行くかとも思ったけど、彼は出て行かなかった」
「怒ったのはあなたを心配したからで、あなたがどうして行動したかもちゃんと理解していたからでしょう」
「相変わらず優秀だよ、彼は。ここには今、そんな彼がいて。…そして」
一度は話を切り、隣にいる彼女を真正面から向き直り見つめた。
「こころから愛し、支えとなる君が傍にいる。だからもう僕は迷わない――国民にとって良い国にするために、力の限り尽くすことをここに誓おう」
かけがいのない、護りたいもののために…。僕は彼女の片手を手に取り、そっと口付けた。
《オマケ》
――その頃、薬師とその師匠は…というと。
「また、貴方は俺に黙って出て行くんですか――勝手にレイヤと契約した、あの時のように」
「…ミカド」
船着場に向かって歩いていた薬師の師匠は、聞き覚えのある声に振り返った。静かな怒りを肌で感じ、眉を下げる。
「……ごめんね」
「いい年した大人が首をかしげても可愛気ないですから、やめて下さい気持ち悪い。それに謝られても許しません」
「相変わらず手厳しいねぇ…」
ふうっと、ひと息つく師匠。
「勝手に人をこの国に縛り付けて置き去りにして、また勝手に迎えに来るなんて非常識で身勝手です」
「まぁ、たしかにね…」
理路整然と過去の行いをつきつけられ、弟子の怒りももっともと肩を落とす。これではどちらが師匠で弟子なのか。
「ですが、同時に感謝もしてます。最初は理解しがたかったものの、貴方がここに俺を置いていった理由も分かりました」
あの時…お互いを高めるために、レイヤにはミカドが、ミカドにはレイヤが必要だった。それぞれが持っている環境や経験に関しても。
「うん、君はとてもいい顔をしていたからね……安心したよ」
今度はにこやかな顔で、師匠は深く頷いた。
「…大変お世話になりました。どうかお元気で」
「あぁ、君もね」
頭を下げる弟子を見て、止めていた師匠の足は再び動き出した。
裏話
少し長めかなと思ったので、2つに分けました。
通常オマケなら人魚姫と王子の甘めな話とかなのでしょうが、王子視点のお話でシリアスです。期待をしていた方がいたらすみません…。個人的には恋愛の逆視点を書くのも見るのも好きなのですが。
どうでもいい話ですが、薬師の長の「コウ」は香月悠の「コウ」です(参考:当サイト配布中のゲーム『精神科医 香月悠のカルテ』)。キャラの感じは、ちょっとおふざけ半分で遊んでる感じで演じてます…みたいな。
――以上、裏話でした。ここまで読んで頂き、ありがとうございます!